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聚楽第

聚楽第

聚楽第は、山城国京都の内野(平安京の大内裏跡、現在の京都府京都市上京区)に安土桃山時代の末期、豊臣秀吉が建てた政庁兼邸宅である。当時は豊臣氏のことを聚楽第殿(聚楽亭殿)とも称した

聚楽第は、「第」(= 邸)とあるが、本丸を中心に、北の丸・西の丸・南二の丸などの曲輪を持ち、堀を巡らせた平城であった。建物には金箔瓦が用いられ、白壁の櫓や天守のような重層な建物を持つ姿が「聚楽第図屏風」や2004年に発見された「洛中洛外図」(江戸初期)などの絵図に描かれているので、天守の存在が推定されているが、一方で天守はなかったのではないかという指摘もある。

聚楽第の周辺地域には、秀吉麾下(きか)の大名屋敷を配置し、その範囲は、北は元誓願寺通、南は丸太町通、東は堀川通、西は浄福寺通で囲まれた地域であったと推測されている。大名屋敷のほかに、側近である千利休の屋敷(黒門通から猪熊通の元誓願寺下ル付近一帯と推測)もあった。 聚楽第の本丸は、現在の一条通(北堀)、大宮通(東堀)、下長者町通の少し北(南堀)、裏門通(西堀)にあった堀に四周を囲まれていたとされる。

聚楽第は関白になった豊臣秀吉の政庁兼邸宅として1586年(天正14年)2月に着工され、翌1587年(天正15年)9月に完成した。 九州征伐を終えた秀吉が大坂より移り、ここで政務をみた。1588年5月9日(旧暦天正16年4月14日)には後陽成天皇の行幸を迎えてこれを饗応している。また天正少年使節や徳川家康の謁見もここで行われた。

1591年(天正19年)12月に秀吉が豊臣氏氏長者・家督および関白職を甥(姉・日秀の子、当時23歳)豊臣秀次に譲ったあとは、聚楽第は秀次の邸宅となった。翌、1592年(天正20年)1月には再度後陽成天皇の行幸を迎えている。短期間に同じ聚楽第に2度も行幸が行われたのは日本史上稀有なことである。しかし、秀吉は1595年(文禄4年)7月に秀次を高野山に追放して切腹させ、秀次の居城であった聚楽第も翌8月以降、徹底的に破却した。

聚楽第の建造物の多くは伏見城内へ移築されたとされる。なお、西本願寺の飛雲閣、大徳寺の唐門、妙覚寺の大門、妙心寺播桃院玄関など聚楽第から移築されたという伝承がある建造物も少なくないが、いずれも伝承の域を出ず、今のところ研究者の間で聚楽第の遺構と確認された建造物はない。 廃却後、聚楽第に住んでいた住民は伏見の聚楽第町に集団で移り住み、現在も京都市伏見区聚楽町として残っている。

 

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